コラム

裁判例 獣医療訴訟

なお生存していた相当程度の可能性

弁護士 長島功

1 医療訴訟で求められる因果関係の程度
 医師が患者の死亡により生じた損害について、不法行為による損害賠償責任を負うのは、医師の医療行為に過失があったことに加えて、当該過失と死亡との間に因果関係が認められる場合です。
 医師の不作為が問題となるような事案で、この因果関係が認められるには、適切な医療行為が行われていれば、救命できた高度の蓋然性が必要とされており、具体的には80%以上とする文献もあるところです(逆に言えば、一点の疑義も許されないような自然科学的な証明までは、要求されません)。
 そして、これは獣医療に関する裁判でも同じことが言えます。

2 相当程度の可能性の理論
 では、この高度の蓋然性までは認められないという場合、医師は損害賠償責任を負わないのかというと、医療訴訟では「相当程度の可能性」という考え方が採用されています。
 これはどのようなものかと言いますと、仮に適切な治療が行われていれば、患者を救命できた高度の蓋然性までは認められない場合であっても、医療水準にかなった医療行為が行われていたならば患者が死亡した時点においてなお生存していた「相当程度の可能性」があれば、賠償責任を認めるというものです。
 実際の事案では、救命可能性が20%以下という鑑定が出ている事案であっても、この相当程度の可能性があったと判断されているものがあります。
 ただし、この相当程度の可能性は、死亡との間の因果関係を認めるものではなく、あくまで相当程度の可能性が奪われたことによる精神的苦痛の賠償が認められるだけなので、人医においても、2~300万円程しか認められないことが多いです。

3 獣医療訴訟における相当程度の可能性の理論
 では、この「相当程度の可能性」は、獣医療訴訟でも同じように考えられるのでしょうか。
 そもそも、因果関係が認められないにもかかわらず、適切に治療していれば、なお生存していた相当程度の可能性があったとして賠償責任を認めるのは、人の生命という重大な利益がかかわっていることによります。判例でも、「生命を維持することは人にとって最も基本的な利益であって、右の可能性は法によって保護されるべき利益」とされています。
 そのため、人を前提としない獣医療ではどのように考えるべきかが問題になります。
 この点に関して、参考になるものとして東京地裁平成28年6月16日判決があります。
 患畜はウサギで、飼い主側より、医療水準に適った治療が行われていればウサギの死亡時点においてなお生存していた相当程度の可能性があったとの主張がなされていました。
 しかし、裁判所は死亡との間の因果関係は否定した上で、この相当程度の可能性に関する主張についても、「死亡した時点においてなお生存していた相当程度の可能性は、生命を維持することが人にとって最も基本的な利益であることに鑑み、法によって保護されるべき利益とされているのであり、本件について直ちに同様に妥当するとはいえず」と判示して、結論として適用はしませんでした。
 明確には述べていませんが、相当程度の可能性の理論は、あくまで人を前提として議論されてきたものであるため、その適用には慎重な判断を示したものと思われます。
 一方で、大阪高裁令和4年3月29日判決では、犬の事案に関し、次のように判示し、相当程度の可能性が侵害されたとして、獣医師の賠償責任を認めました。
「医療水準に適った適切な医療が行われるべきであることは、人に対する医療と獣医療とで異なるところはないというべきであり、同様に獣医療の水準に適った医療が行われていたならば診療に係る飼育動物がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明されれば、獣医師は、その飼育者が上記可能性を侵害されたことによって被った損害を賠償すべき不法行為責任を負うと解するのが相当である」。

 この相当程度の可能性という考え方が獣医療にも適用されるのか、されるとして死亡した場合だけではなく、後遺症が残った場合等どの範囲で適用されるのかは、色々考えは分れるところではありますが、このように獣医療でも相当程度の可能性という考え方を使って賠償を認めた事例もあるところですので、ご紹介をさせていただきます。
 今後徐々に裁判例が蓄積し、実務の考え方が定まっていくものと思います。