獣医療に関する裁判例~フィラリア虫除去手術の最中に犬が死亡したが、獣医師に義務違反はないとされた事例
今回のコラムは、犬に対する獣医の措置の相当性が争点となった事例です(東京地方裁判所平成3年11月28日判決)。
■事案の概要
獣医師の検査により、シェパードがフィラリアに感染していることが判明しました。検査を依頼しました。獣医師は心臓を開き、フィラリアを除去する手術を行いましたが、手術中に犬は心停止を起こして死亡してしまいました。
■裁判所の判断
裁判所の認定によれば、事実関係は以下のとおりです。
- ・まずは経口薬を投与(ミコクリーナ、カルドメック)する。
- ・手術当日、心電図検査、超音波検査を行い、心臓に変化がないことを確認し、開胸手術を実施する。
- ・皮膚、筋、心のう等に対し最小限の切開を行い、いわゆるスパゲッティ縫合糸を装着する等の教科書に書かれているとおりの開胸手術を行い、13回にわたり10数匹の成虫を吊り出し除去する。
- ・成虫除去作業の最中、犬の心拍数が減少したため、急遽手術を中止し、胸を閉じる作業に入ろうとする。
- ・しかし心臓の期別収縮が出現し、急遽メイロン、アトロピンの静脈注射をしたが、一時進呈しとなり、手で心マッサージをし、いったん回復したが、すぐまた反応しなくなり、心臓が停止し、死亡に至る。
- ・翌日、東大で犬を解剖したところ、心臓部で多数のフィラリアの寄生が明らかになり、右心室が著しい先天的拡張であること、全身にうっ血があること等が認められ、主な死因はフィラリア症、副次的な死因は心室拡張と判断される。
そして、以上の事実を前提に、裁判所は以下のように判断しました。
・犬の先天的心拡張は極めて稀有の症例であり、手術前に予見することは不可能であった。
・犬の死因は、フィラリアの成虫の多数寄生により心臓が拡張して生じた血液循環等の循環機能不全により副次的には、他にほとんど例を見ない先天的新拡張のため生じた順機能不全により、たまたま犬の開胸手術中に、心停止が生じて死亡した。
・フィラリア症は、経口予防薬により予防でき、その効果も高い。
・オーナーはフィラリア症の予防方法をとっておらず、犬の死亡の原因は、オーナーの管理の誤りに基づくもの。
・したがって、獣医師に過失はない。
■まとめ
本裁判例は、今から約30年前の判決で、獣医療訴訟がまだ珍しかった時代のものであり、現在の獣医療水準については獣医師の先生方にご意見を賜りたいのですが、法的には、以下の3点は現在も共通です。
①教科書に記載された方法をとっていることが重要(獣医学的な根拠のある治療行為は、過失がないとされる傾向が高いです)
②極めて稀な症例は過失がないとされやすい(ただし、稀な症例であっても、個別具体的によっては、過失があると判断されることもあります)
③解剖により、死因が特定でき、裁判所の審理に耐えられる証拠が残る(もっとも、家族の一員を亡くしたオーナーは、解剖には回避的です)
最後に、本裁判例が紹介された判例雑誌に記載されたコメントが興味深いものでしたので、引用します。約30年前に書かれたコメントですが、その予想は的中し、現在では獣医療過誤をめぐる訴訟は増加していると思います。
「犬は民法上は動産に過ぎないとはいえ、動物の診療という点から見た場合には、法律的な構成として不法行為及び債務不履行が考えられること、獣医の注意義務の内容及び程度は獣医としての医療水準によって決せられることは人間の場合と同様であろう。もっとも、このような事例が民事訴訟で争われるのは現在ではまだ極めて稀と思われ(中略)しかし本件の心臓手術の事例に見る通り、獣医学の進展、ペット熱の増大、ペット産業の隆盛等から、獣医も民事訴訟の埒外ではなくなることが考えられ、本件は時代を映す事例として紹介する(判例タイムズ787号211頁)」
弁護士法人浜松町アウルス法律事務所 弁護士幡野真弥